現代を生きる私たちの胸に刺さる『論語』の名言一覧
この記事の目次
頑張る社会人に捧げたい『論語』の名言
人知らずして慍(うら)みず、亦(ま)た君子ならずや。
原文:学而时习之,不亦说乎?有朋自远方来,不亦乐乎?人不知,而不愠,不亦君子乎?
※赤字部分が上文になります。
学んだものをいつも復習・練習するのは、愉快なことではないか?
遠方から気の合う仲間がやってくるのは、とても喜ばしいことではないか?
自分の事を理解してもらえなくても、私はそれを恨まず、憎まず、気にしないのは、徳の高い『君子』と呼べるのではないか?と孔子は言っています。
つまり、「あいつは俺の良さをわかってない。」と居酒屋で管を巻いているおじさんがよく漏らしていそうな言葉ですね。
しかし、『君子』つまり徳の高い人は、他人に自分の良さを理解してもらえなくても、気にしないものだということです。
巧言令色鮮し仁。(こうげん-れいしょく-すくなし-じん)
原文:巧言令色,鲜矣仁
言葉を巧みに使い、へらへらと愛想笑いばかり浮かべて、人に気に入られようとする人には誠実な人間が少ない。
そのような人は、仁徳を備えている者は少ないと孔子は言っています。
この言葉には対の言葉があります。
「剛毅朴訥、仁に近し」( ごうきぼくとつ-じんにちかし)です。
意思が強く、素朴で口数が少ない人が道徳の理想である
『仁』に最も近い者であると孔子は言っています。
どちらの人間になりたいかは一目瞭然ですね。
教育をする立場の人に捧げたい『論語』の名言
学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし。
原文:学而不思则罔,思而不学则殆
本や先生から学んでも、自分でしっかり考えなければものごとははっきりしない。
自分で考えてみるだけで本や先生から学ばなければ独断に陥ってしまい、かえって危険である。
孔子は、人から学ぶことも自分で考えることも両方とも大切なことだと言っています。
近年、学校教育では教え込み形式の授業を反省し、生徒が自ら考える学びに焦点を当てています。
中には、先生が教えるのは古いということで、授業の全てを生徒の主体性に任せているという学校もあるようです。
「教えすぎだから全部生徒に任せる」というのは極端な気がしますね。
孔子が言うように、どちらも大切な事です。
この言葉を踏まえて改めて学校教育について考えてみるのもいいかもしれませんね。
後生畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者の今にしかざるを知らんや。
原文:后生可畏,焉知来者之不如今也。四十五十而无闻焉,斯亦不足畏也已。
※赤字部分が上文になります。
後輩であっても、敬い恐れを持つべきである。
若い者には無限の未来があり、これから成長し今の自分に及ばないとも限らない。
今の自分を遥かに超える存在になる可能性もあるのだという事を孔子は言っています。
また、続きの文には、四十五十になっても、名望がなければ、恐るに足りないとも言っていますが、孔子の時代は人生50年と言われていた頃。
今の時代でこの言葉を鵜呑みするのは違うでしょう。
現代ならば、七十八十と置き換えても良いのではないでしょうか。
これは、子どもと関わる全ての大人に知っていてほしい言葉ですね。
後生とは、自分より後に生まれた人のことです。
自分よりも立派な大人になってくれると信じ、一人の人として子どもたちを大切にしたいですね。
すべての人に捧げたい『論語』の名言
義を見て為(せ)ざるは、勇無きなり。
原文:非其鬼而祭之,谄也。见义不为,无勇也。
※赤字部分が上文になります。
行うべきことを前にしながらそれを行わないのは、勇気が無いということだ。
と孔子は言っています。
前文と合わせると、こう言っています。
やっては行けない事なのに、あえてそれをするのはへつらいである。
出来ることをあえてやらないのは、勇気がないという事。
この言葉からは多くのことが学べるはずです。
勇気を出すということ。
やらなければ行けない事に直面した時、人は勇敢に立ち向かい出来ることをするべきであるという事。
また、やっては行けないと分かっている事を、あえてするのは、勇気などではなくへつらいであること。
結果、人にも自分にも良い結果は返ってこないという事です。
すごく当たり前の事を言っているのですが、人は当たり前を見失う時があります。
そんな時、この言葉をぜひ思い出してしっかり考えてみましょう。
之(こ)れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是(こ)れ知るなり。
原文:知之为知之,不知为不知,是知也。
知っている事は知ってる、知らないことは知らないと言いなさい。
それが知るということだ。と孔子は言っています。
これも、すごく当たり前な事ですが、カッコつけたいがために、ついつい知ったかぶりをしてしまったなんてことを、経験した事ありませんか?
この言葉は、知らない事は恥ずかしいことではなく、知らないという事もまた知るという事なのだと。
つまり、自分がこれについて「知らない」という事を知ることが出来る。
孔子はそれを伝えたいのではないでしょうか?
「知らない」ことは、学べば「知る」ことが出来ます。
知らないとうことを恥ずかしがるのではなく、知らないことを知ろうとしない方が恥ずかしいのだと理解しましょう。
君子は和して同ぜず、小人(しょうじん)は同じて和せず。
原文:君子和而不同,小人同而不和
徳のある人は人と和やかに話し合いをしていても、自分の意見をしっかりと持っています。
適当に意見を合わせるのは簡単だが、本当の意味での調和ではないという事を孔子は言っています。
つまり、なんでも人に合わせるのではなく、しっかりと自分の意見を持つこと。
自分の意見をしっかりと人に伝えられることが大切なのだと、孔子は言いたいのだと思います。
これは、学校でも会社でも同じことが言えます。
学校であれば、大抵仲良しグループがあり、その中で意見をはっきり言うリーダー格の子にみんな同調しがちです。
また、会社であればもっと複雑でしょう。
自分の先輩や上司にはっきりと自分の意見を言うのは、誰でもためらいます。
「人間関係」この言葉に悩まされる人は多いはずです。
円滑かつ柔軟な関係性、いわゆる社交辞令や人付き合い。
もしくはなんでも話し合える仲間、親友。
誰でも相手をみて付き合い方が変わったり、話せる相手と話したくない相手がいます。
しかし、どちらにしても自分の意見が正しいものであれば、自信を持って対等に話し合ってみると、意外に打ち解けられるものです。
例えその意見が相手の考え方と違っていても、話してあげる事で、相手もあなたの真心を感じるのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたか?
今回紹介したのは、数ある『論語』の名言のうちの一部に過ぎません。
はるか昔の言葉が、現代の私たちの道しるべとなる言葉として生きているというのは、何だか感慨深いですよね。
あなたもこの記事を読んでお気づきかもしれませんが、孔子は「当たり前」のことを言葉の財産として残してくれたのです。
日々の生活で忘れがちなこと、大切なこと。
時々、立ち止まり、思い出してみても良いのではないでしょうか。
ぜひ『論語』を手に取り、自分にぴったりな言葉を探してみてくださいね。
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